詩と写真のコラボレーション (2003/Feb.)
◆ 鶏に仙人が騎り 春隣 (川崎市 服部 一彦)
(↑ JR 高尾駅にて)

ある公園での1日 by さかなのくち
→ HP
いつもいく
小さいけれど
たくさん樹のある公園
冷たい風がたくさんいるけど
ふわふわのわんわんと一緒に
遊びにいくんだ
ここだけいっぱい みどりがあって
ブランコに すべりだい
小さなお山に とんねる
僕はお山の上にのっかって
わんわんと一緒に
紅い梅をみてるんだ

** いきたい ** by ☆姫☆ -M- 95%
→ HP
いきたくなんてないよ
ここにいたいよ
いたいよ
いたい
いたいいたい
いたいいたい
ここにいたいよ
いきたくなんてないよ
生きたくなんてないよ
行きたくなんてないよ
(流氷砕氷船オーロラ号 網走 →)
◆ 雪晴の なほ風荒ぶ日なりけり (大阪市 真城 蘭郷)

(↑ オホーツク海岸 網走)

☆ おもい by ☆ ΥUЯΕΑ ☆(Μ)
→ HP
あなたが入っている視界は
白く、白く・・・
霧が晴れたと思うと
熱い雫が頬を伝った
泣いているの? 私。
(← 厳冬の摩周湖)
◆ 戦争へ空母出でゆく 氷雨の日 黒き原潜ひそと入る町 (横須賀市 梅田悦子)
(↑ 網走港 流氷砕氷船おーろら号)

『 翼 』 by Gabriel
翼が欲しい
私に翼があれば
空を越えて
愛しい貴方の元へ跳んでいけるのに
(美幌峠より屈斜路湖を望む斜面にて →)
◆ 白鳥は首を伸ばしてポーズとる その首さびしレンズ通せば (蓮田市 平井みよ子)

(↑ 2003さっぽろ雪祭りにて)
☆ 輝けるもの by いちご
→ HP
いつもあなたがまぶしく感じられて
気後れしていた私
私の醜いところ全部
見透かされているようで
振り返らないあなたが羨ましくて
思い出ばかりに逃げていた私
楽しかったことばかりを
繋ぎ合わせて
前に進めなかった
臆病になるほど
あなたからは遠く離れてしまうこと
ずっと後になってから気づいた
輝いていたあなたが
まぶしすぎてきちんと見つめることも
そうする努力もできなかった私
(← 2003さっぽろ雪祭りにて)

☆ きらきらと輝く海へ by まりりん♪
→ HP
きらきらと輝く海を見た
夕暮れ時のほんのひと時
水面に輝く七色のきらめき
きらきらと輝く海を見た
あなたに届け恋ごころ
水面に映るわたしのこころ
(網走港 →)
◆ 白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まず漂う
(牧水)
(← 網走【とうふつ湖】にて)

♪叱られて 叱られて
あの子は どこまでお使いに
この子は 坊やをネンネしな
夕べ淋しい 村はずれ
コ〜ンとキツネが 鳴きゃせぬか ♪
(【北キツネ牧場】にて→)

☆ じぶん by ☆ゆりあちゃん☆(Μ)
→ HP
真っ白な
白銀の世界に
行きたいと思った
真っ白になった
自分の心に
どんな色をつけていこう
どんな色に染めていこう
新しいという色
(← 網走港 流氷砕氷船 【おーろら号】より)

白居易(白楽天)が玄宗帝と楊貴妃のロマンスを歌った詩「長恨歌」より。
七月七日長生殿
夜半無人私語時
(夜半人無く私語せし時 )
在天願作比翼鳥
(天に在りては願わくは比翼の鳥となり)
在地願為連理枝
(地に在りては願わくは連理の枝とならんと )
(2003 さっぽろ雪祭り 【楊貴妃】 【??】 【エリザベート皇后】→)

☆ ため息 by カスミ
→ HP
凍える星空で ため息ついたら
真っ白にキラキラ輝いて
あまりの綺麗さに 笑って 泣いた
(← 然別湖コタン アイス・バーにて 2003/2/10)

◆ 太平の眠りを覚ます蒸気船
たった4はいで 夜も眠れず (幕末 狂歌)
(2003 さっぽろ雪祭り ペーリー提督像 →)
(2003 さっぽろ雪祭り 江戸城)
(この天守閣は明暦の大火・振袖火事で焼失し以後再建されなかった)

唐破風の 入日や薄き 夕涼み
破風口の 日影や弱る 夕涼み (芭蕉)
子にはもう勝てぬ 歌留多もトランプも (北九州市 斎藤牧女)
(府中市南町公園)

☆ 緑色の霧 by pantu
→ HP
pantuは淡い色が好き。
でも、自分の心を色に例えたらありとあらゆる緑色。
濃い色だってpantu自身。
緑色の霧の中を進んでいくと、ある風景が現れてくる。
まだ、訪れたことのない場所。
なのに、どうしてこんなに懐かしく感じるんだろう。
それは、きっと いつも夢見てる場所だから。
それは、きっと 見失いがちなpantu自身だから。
(けまん草 相模原公園)
高いものが屋根電柱でありしころ 空は大きく広がりおりき (春日井市 伊藤紀美子)
(汐留 シオサイトのビルの谷間)

☆ 黄色いチューリップ by まりりん♪
→ HP
窓越しのレースのカーテン
ほんの隙間から花瓶に反射する
虹色に輝く線が揺れている
指で辿ると消えてしまいそうで
そっと見つめるだけのわたし
幸せ色のチューリップが
ほんの少しづつ花開く瞬間に
想いをよせたひとに伝わるように
夢見ることたわむれとまぼろし
見つめながら問い掛けるわたし
(← 新潟県・五泉市)
字は力 ことばは光と思いたり 平和を願う 子らの詩よみて (香川県 山地千晶)

(その光 つかむのは君 武蔵村山市)

『 好き 』 by さかなのくち
→ HP
僕が好きなのをわかっているくせに
君はやんわりというんだ
好きって
僕が好きなのをわかってるくせに
君はこともなげにいうんだ
もらってくれるって
もらわれるきなんてないくせに
それでも 僕は君が好き
(八王子市・片倉城址公園 →)

◆ 夕顔の咲ける軒端の下すずみ 男はててれ女はふたのもの
豊臣秀吉の妻北政所の甥で、歌人として聞こえた木下長嘯子の和歌
◆ 夕顔の棚の下なるゆふすずみ 男はててらめ妻はふたのして
『醒睡笑』
◆ 楽しみは夕顔棚の下涼み 爺はててらに妻はふたのして
『北窓瑣談』
(ててれ:褌 または襦袢 ふたのもの:腰巻)
”夕顔”と聞くと「源氏物語・夕顔の巻」が有名で、日本古来から親しまれた花・植物のようだが、
江戸時代には(余裕のある人は)夕顔の棚を作り、夏の夕刻その棚の下で家族で夕涼みをするということが流行したらしい。
夕顔棚のしたで涼をとる家族の姿:夕顔棚納涼図という日本画のパターンが出来るほどだ。
有名な画家がこの「夕顔棚納涼図」を残している。(左の絵は葛飾北斎と久隅守景・国宝)
昼間の暑さの残っている夏の夕刻、行儀よくするにはまだまだ暑い。だから夕涼みをする。
絵を見て驚くのは、「女性が上半身はだかのまま」ということ。現在の常識ではこれは、行儀の悪いはしたないこと。
しかし、図の中の女性(母親)は平気のようだーーそれが当時の常識。
蒸し暑いのは男女同じ。女性が裸で良いなら、男は勿論のはず。げんに男の裸も絵に描かれている。
右の絵の不思議なところは「男は肌着をはおっている」ことだ。女はいいのに、なぜ男はダメなのか?
この絵(男が肌着、女ははだか)の謎は、研究者の間で議論されているが、今も理由がはっきりしないらしい。
しかも、(初めは男も裸だったのに)”男の肌着”が後から追加された痕跡もあるらしいことだ。
推測だが、江戸時代も下るに従って風紀に厳しくなり(儒教道徳)、男(武士)たるものは肌を見せるべきでないとなっていった?
(女は平等な人格などないーー男よりも一段下だから、裸でも構わない)ということか。
有名な川柳に、「夕涼み よくぞ男に生まれけり」 というのがある。
上の夕顔棚納涼図とは正反対の情景を詠んでいる。この川柳の気持ちは現代にも通用する。
この変化ーー男女の入れ替わりはいつ頃から始ったのだろうか?
あるいは、町民・庶民は武士階級とは別の意識だったのかもしれない。
女性が親しい人以外には肌を見せなくなったのは、大正時代の有名な「デバカメ事件」あたりかららしい。
★ 『常識は、時代と共に変化する』 ことを忘れないようにしたい。

『 空間 』 by 静香
→Cafesta HP
雪がアタタカイと思えるほど
私の心はまだ凍えきっていない
だから震える 雪の中で
冷たい手をこすりながら
誰かを待つ
誰も来はしない
私がここにいることを知らないから
誰も来はしない
ここは私が創った場所だから
(秦 征雄 氏のガラス彫刻→)
◆ 「今日は二度あなたとすれ違いました」
日記に書く日 天気「快晴」 (焼津市 伊藤ひろみ)

武蔵村山・市民会館で秦征雄氏のガラス彫刻作品点「斑鳩」を見てきた。
秦氏は歯医者の使う電動ノミを使って独自の手彫りの技法を考案し、30年に亘って
作品を作り続けて来られたそうだ。幸い作者の秦氏が会場に居られ、いろいろと苦労話なども
聞くことができた。
厚さ1cmほどのガラス板(5万円くらい)に下絵を描き、電動ノミで丁寧に彫る。
ガラスは固いのでダイアモンドのノミもすぐに磨耗してしまい、一つの作品を作るのに
何本も消費するらしい。中くらいの大きさでも300時間(数ケ月)くらい掛かるという。
大部分は奈良の仏像をモデルにしており、実に見事な作品だった。
(秦氏の本業は建築関係で、趣味としてガラス彫刻に取り組んできた。作品を売る
つもりはないとのこと。うらやましい見事な趣味だ)